ハチロク、つってもイニDじゃないけど

小・中学校の時は必ず登校日だった。
高学年にもなると、正直「ま〜た平和教育か」と思ってた。
でも、何の日か知らない人が年々多くなっている現状を見ると、
必要だったかなあ、と思う。
流石に県人で知らない奴は少ないから。

小学校の時に「家族や親戚の人に、戦争や原爆の話をききましょう」
って課題があって、その時聞いた話を思い出した。

身内に直接の被爆で亡くなった人は居ないけど、
母方の祖父は投下の翌日には消防団で借り出されて、市内で遺体の始末をしたらしい。
生きていれば入市被爆者として認定されたかもしれないが、
若くしてタバコも吸わないのに肺がんで亡くなった。
おばあちゃんは原爆のせいだと言ってたな。

小学校に登校中だった母は、遥か山の向こうが光った後
ドーンと音がして、徐々にキノコ雲が湧き上がるのを見たそうだ。
『ピカ』が落ちた次の日から、列車には怪我人が大勢乗っていたらしい。
市内から戻ってきたお祖父さんは、口数も少なく、ご飯も喉を通らなかったそうだ。


62年経っても風化させちゃいけないけど、
自分達が新たな話をしなくていい世の中でありますように。